フラジャイルも後半に入ったんだなと、オープニングを見て実感しました。

原作では、高柴先生の話と今回の乳児のネグレクトの話はひとつのお話になっています。
それをドラマでは2つのエピソードに分けたんですね。
ドラマと小説や漫画の違いは、一方的なテンポと時間の流れの中で見るか、自分のテンポに合わせて見るかってところがあると思います。
私は、ドラマよりも漫画や小説の方が複雑なエピソードを書きやすいのではと思っています。
もし、原作通りにこのエピソードをやっていたら、たぶん2話分になったか、1話にしたら、とんでもなく駆け足の説明不足で余韻のないものになっただろうと思います。
2話にしないでエピソードを分けたのは、テーマをわかりやすく伝えるには効果的なのでは。
これは、ドラマならではのいい判断なんじゃないかな。

フラジャイルは、毎回、エピソードごとに、日本の医療の問題点みたいなものが描かれているように思います。
楽しくて面白いだけじゃなく、情動に訴えるだけでなく、大げさに言うと社会的な問題提起がなされているというか。
今回は、セカンドオピニオンがひとつのテーマだったのでは。
セカンドオピニオンという言葉、昔はありませんでした。
自分の娘の話になってしまうのですが、20年以上前、娘が診断がつかぬままに大学病院に通っていた頃、担当医に相談して他の小児専門病院の先生に見てもらったことがあります。
その頃は、セカンドオピニオンなんて言葉はなかったか、あっても今ほど一般的ではなかったと記憶しています。
最初の病院から検査データをもらって2つ目の病院に行きました。
初めての診察時、そのデータを渡したところ、2つ目の病院の先生が「よくこれだけデータを出してくれましたね。普通は、渡してくれませんよ。」ととても驚いたのことを今でもはっきりと覚えています。
あの頃は、他の病院に検査データを渡すなんて・・・って感じだったんだろうと思います。
幼児の検査は大人以上に大変な部分があります。
じっとしていることが出来ないから、催眠鎮静剤を使って眠らせて、X線とか、CTとかの検査をします。
もし途中で目を覚ましたら、検査はそこで終わり。
病院に1時間かけて出かけて、薬が効いてやっと検査が受けれる状態になった時に、ちょうど機械使用中で、やっと検査が・・・って時になって薬が切れて子供が目を覚まして、今日の検査は無しになってしまったりしたことも。
小さな子供に、何度もX線やCTの検査をするのは、やっぱり避けたいとも思ったりしました。
でも、病院が変わればそこで、検査は全部一からからやり直しが普通だったのです。
そういうこともあって、この時データをもらえたのは本当にありがたかったです。
今は、昔よりセカンドオピニオンなどが受けやすくなっているとは思います。
しかし、現実には今だにセカンドオピニオンを快く思わない先生もいるのでは。
昔からの医師の意識は、そうそう簡単に変わるものではないと思うので。
特に、かつてその道でそれなりの評価を得ているプライドの高い年配の先生とかにセカンドオピニオンをいい出すのは、難しい雰囲気がありそう。
実際に、患者を抱え込むタイプの先生がいるって話もかつてちらほら聞きましたし。
こういった部分が、セカンドオピニオンに置ける医師の側の問題。
もう一つは、患者の側の問題。
ドラマに登場してきた愚痴を言いに来たような患者や、まだ効果が確立していない療法に過大な期待をかける患者。
違う所見を聞かされたとき、混乱する患者。
より正しい診断やより良い療法ではなく、自分にとって都合のいい自分の耳に優しい療法を選ぼうとする患者。
そういう素人の患者の言動が時に専門家である医師を振り回したり…。
セカンドオピニオンそのものは悪くないのですが、それががよい医療に結びつかない事例が多くある。
そんな、セカンドオピニオンの問題を今回はわかりやすく描いていたように感じました。

回を重ねるごとに、長瀬くんが漫画の岸先生に似てきているように感じます。
長瀬君のスタイルのせいも大きいのでしょうが、立ち姿とか、ふとしたひょうしの体の表情とかが漫画の岸先生っぽいんです。

「僕の言葉は絶対だ」という決め台詞、毎回これが入るのはちょっと演出過剰なんじゃと思ったりしますが、ここまでくるといろんな「僕の言葉は絶対だ」をきいてみたくなってきました。
これ、一種のお題みたいなもので、脚本家の苦労を想像しちゃいます。
橋本さんの脚本は、原作を巧みにドラマ脚本にしていて感心させられます。
次週の高柴先生のエピソードも期待しています。

7年前の岸先生、来週もまた見られるかしら?
スポンサーサイト