ちょっと前に読んだ「うつから帰ってまいりました」
古本屋さんで見つけて、著者の名前に見覚えがありましたので購入。
売れっ子脚本家であった一色さんのうつを患う前からうつを患い、回復するまでを記したエッセイです。
ところどころに一色さんご本人の書かれた脚本の一部が挿入されていて、それが印象的です。
私も身内にうつを患っている者がおりますので、うつの人の感じ方とかを再認識する意味でも、読んでよかったと思います。
ただ、この本は単なるうつ病闘病記ではなく、どちらかというと脚本家一色伸幸のものを書くという事への業みたいなものが描かれているような感じがしました。

実は私、一色さんが脚本を担当された映画を1本も見ていません。
ヒットした映画がけっこうあるのに。
ドラマも申し訳ないのですが、「彼女が死んじゃった」と「ラジオ」しか見ていません。
だからとても氏の作品について何か書いたりはできないのですが、エッセイを読んだ限りでは、一色さんは書かないと生きていけないというか、職業として書いているのですが、それ以上に書くことがアイデンティティーになっているような作家さんなのではないかと思いました。

「彼女が死んじゃった」は、うつから回復した著者が、当初、自身の初監督映画作品の脚本として書いたもの。
が、その後、一色さんはそれをテレビドラマにしたいと思われたそうです。
うつ病から生まれた物語をうつ病患者に見てほしい。見る抗うつ剤を作りたい。
うつ病患者は映画館に行くことは考えにくい、だから、この物語を連続ドラマにしたい。
ドラマならば、テレビをつければ見ることが出来るので、映画館にいけない人も見られる。
一色さんはそれを無謀な夢と書かれています。
その無謀な夢が、後日かなうことになったわけで…。
私は、「彼女が死んじゃった」を見たとき、これは映画にした方がよかったのではないだろうかと思ったりしました。
けれど、今回このエッセイを読んで、作り手側のこれはテレビの連続ドラマでなくてはならないという、とても強い意思があって作られたものだという事を知りました。

その後、各所の調整を経て、最も連続ドラマに向いていないと思われる内向的な物語が、よりによって日本テレビの土曜日の9時という、一番、そぐわない枠で放送されることになった。
この機を逃せば、長瀬智也、木村佳乃、深田恭子、香川照之という、理想的なキャスティングはあきらめざるを得ない。


そんな風にしてあのドラマが作られたのだと知って、何か、こみ上げるものがありました。
そして、そのドラマの現場は優しさに満ちていたと、一色さんは綴っています。
自分たちが今していることに意味を感じていたと。
こういう現場は、一色さんをして初めて体験したそうです。

一色さんは、このエッセイを書かれた時点では---「彼女が死んじゃった」を超えるものは、書けない。自分が死んだとき、棺に入れる作品はこれだけでいい---とおっしゃっています。
こういう脚本家にとって特別な作品に出演できた役者さん、制作できたスタッフというのは、その作品を作っている時の気持ちは特別なものなのかな、なんて思ったり…。

ドラマを見る側は、こういった作り手側の事情も思いも知らされることなく見ています。
時間帯にそぐわないドラマだとか、暗いとか言う声が放送当時ありました。
でも、それでもそれを放送した意味を、このエッセイによって知ることが出来ました。
それだけでも、このエッセイを読んでよかったと思います。

「彼女が死んじゃった」、長瀬君主演だから見始めたドラマですが、ドラマとしてもとても好きなドラマです。
長瀬君主演じゃなくても好きだったかもしれませんが、他の人主演だったらこのドラマに出会っていたかどうかはわかりません。
それに、今となっては、ハジメ役を長瀬君以外の人が演じていることを想像することはできません。
長瀬くんがこの役を演じてくれた事、この役に長瀬君をキャスティングしてくれた事に感謝します。

うつ気味の人、うつ病患者が身近にいる人、「彼女が死んじゃった」に魅力を感じる人には、お勧めの1冊です。

読み終わって、ハジメやゆかり、豆知識さんにもう一度会いたくなりました。
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