録画してあった 戦後70年 千の証言スペシャル「私の街も戦場だった」を、観ました。
東京大空襲の日に合わせて放送された番組。
ある程度、体力と精神力がある時じゃないと見れないと思って、先延ばしにしていたのをやっと観ました。

当時、日本を攻撃していた米軍の戦闘機には機銃掃射の際、トリガーを引くとスイッチが自動的にオンになるガンカメラというカメラが装備されていたのだそうです。
米軍は、その映像でパイロットの仕事ぶりをチェックしていたとのこと。
日本では、一般家庭の鍋やお寺の鐘まで供出させていた頃、とにかく軽くするために安全性を後回しにした戦闘機が作られていた頃、アメリカ機は、ただ、パイロットの仕事ぶりのチェックのために戦闘機にカメラを積んでいたのです。
更にそのカメラのフィルムはカラーだっという事実。
そんな事に、まず、茫然としました。
圧倒的な戦力、経済力の差です。
B29に竹やりで戦いを挑むというたとえはあながち間違いではなかったのでしょう。

アメリカに保管されているガンカメラのフィルムを借り出して、その映像から場所を確定する研究をされている方がいらっしゃるそうです。
その研究の結果、日本の多くの街が戦場であった事が浮かび上がってきました。

戦後70年。
戦争の記憶を持つ人たちは高齢となり、若い人にとっては、戦争は歴史の教科書に出てくる暗記事項の一つでしかないのかもしれません。
私も戦後生まれで、戦争は知りません。
ただ、これを書くと年がばれますが、私が幼いころは、神社に行くと必ず軍服姿の手足に障害を負った方が、アコーディオンを弾いたりハモニカをふいたりして、お金を得ている姿がありました。
家には、戦争で親を失ったりした親戚が一緒に暮らしていましたし、祖父は徴兵されて南の島へ行っていたと聞いています。
だから、というわけではありませんが、その頃は戦争の記憶というのはそう遠いものではなかった気がします。
私も、祖父母や母からも、戦時中の話は聞くともなしに聞いていました。
自分の子供の頃は、戦争も終わり戦後のごたごたもおさまったけれど、まだあちこちに戦争の残り香みたいなものが微かながらもあった時代だったのかもしれません。

母は私に、サイパンなどのかつての戦場に遊びに行くことは絶対に許さないと今でも言います。
そこは、母や祖父母にとっては観光地ではなく戦場だった場所であり多くの日本兵が命を落とした場所だから、そんな場所で楽しむというのはもってのほかなのだろうと思います。

ガンカメラの映像は、日本が戦場だった時の記録です。
その映像を見て、母や祖父の言葉を思い出し、何故か涙が止まりませんでした。

機銃掃射を受けた少女は、その時その場所は地獄だったと言います。
一方、機銃掃射をした米軍のパイロットも、家族への手紙に、戦場は地獄だとつづっています。
どちらの側にとっても、戦場は地獄だったのです。

70年たち、戦争の記憶が薄れてきた今だからこそ、こういうドキュメンタリー番組を放送する意義は大きいように思いました。
見応えのあるドキュメンタリーでした。
出来れば、たくさんの方に、戦争の暗さも怖さも知らない世代にこの番組を見てほしいと思いました。

http://www.tbs.co.jp/sengo70/
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